恋と愛について考えてみる。

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機会在ってメチャメチャ大好きな 「Lakes of Pontchartrain」を練習してるんですが、

こういうバラッドの歌詞を味わってると色々考えますね。

歌の主人公の事。主人公が気持ちを寄せるクリオールの女の子の事。

当時のPontchartrain胡での生活。

そして今ではありふれた言葉になってしまった感のある、

について。

最近使いました? この言葉。

ありふれた言葉になったとはいえやはり使う時には覚悟が要る。

そんな気がします。

ここで恋と愛の違いについて考えてみました。

どんな時に恋を使い、どんな時に愛を使うのか。

思うに、状態を考えてみると。
恋は一方的に好意を持っている状態。
愛はお互いが好意を持っている状態。
なんじゃないかと。

ただし愛でも、
対象の全てを包み込む場合は、
愛も使うんじゃないかって思うわけです。

だから恋してる時は相手の意思なんてお構いなし。相手はどう思おうが、そもそも何かを思う事が出来ない生き物ではないモノが対象でもいいわけで。

例えば恋の対象は人に限らず人を構成するパーツである目であったり耳であっても良いし更には全く人とは関係ない1963年生のレスポールでも良いわけですね。

だから

「君の瞳に恋してる」
「この旋律に恋してる」

とは言いますが

「君の瞳を愛してる」
「この旋律を愛してる」

なんて言うと行き過ぎた感が漂ってくるように思います。

ちょっと塩分加え過ぎたトマトジュースみたいな。

あくまでも愛しあっているってのは一部の例外を除いてお互いが相手の事を思い合ってる状態でないといけないわけで。

だから愛し合ってるって言葉はあっても恋しあってるってのは無いわけで。

愛し合ってる場合は同じ方向にベクトルが向いてる、若しくはおなじ場所にベクトルが向いてるけど恋しあってる場合はベクトルなんてお構いなし。

女は男の顔に恋してるかもしれないし男は女のふくらはぎに恋してるかもしれない(笑)

そういう気持ち悪い気配を感じます。

では一方的な思いで愛って言葉を使えるのはどんな時か?

それは相手に対して見返りを求めない場合に使って良いんじゃないかなぁ~って思います。

具体的には親が子を思う場合とか。

子供に愛して欲しい!!と思って子供を愛する親なんて普通は居ないですよね。

愛したいから愛するのが親の子への思い(愛)なわけで。

なぁ~んて色々考えてみたんですがやっぱりって言葉は使うのが難しいです。

今ではJ’Popsの中や色んなところで空気と同じくらいの密度では毎日バカみたいに使われてるけど。

ホント、難しいです。

Lakes of Pontchartrainの主人公はクリオールの女の子に恋してたのか愛してたのか?どちらんでしょうね。

ちなみにこのLakes of Pontchartrainを歌う Paul Brady、僕がメッチャ影響受けたギタリストの一人です。

彼は主にオープンGチューニングを使用していますよ。

最後にげーリックバージョンのLakes of Pontchartrain

なんていうか更に泣けますね。

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コメント

  1. こいけさん より:

    > グレンM さん
    情報ありがとうございました。
    ポール・ブレディーはやっぱりすごいなぁ~ってあらためて感心。
    さらにパディー・キーナンも。
    こういう歳のとりかたしたいなぁ~なんて思います。

  2. グレンM より:

    ブレディさん関係で、ちょうどリオンさんから教えて頂いた映像を、、
    http://live.tg4.ie/main.aspx?level=ceol&content=128939977729

    同じくTG4で、P.Keenanさん関係のもありました、、
    http://live.tg4.ie/main.aspx?level=CeolF&content=126510668801